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まだわからんといえばわからんのだけどね、そういうものが、おいらの目の前に近づいてきている。
だがそれが何か此処には書かない(@wぷ …って、東京kitty氏のマネしててもしょうがないんだが、そもそも、ここに書いたとしても、大半の日本人は理解できないだろうし、わかったところで興味もないだろうからな…。 人間のレベルの話をしているわけじゃなくて、違いの話をしているだけだけどね。 で、この何日か、関西出張の間も含めていろいろ考えてたのだが、正直、日本の政治経済状況も含めて、そんな細かいことはどうでもいいやと思ってしまうくらい、妙に興奮しているのである。 というわけで、珍しくちょっと思想的な話。 ![]() おいらは、基本的に、他人にガタガタ言われるのとか、命令されるのか、考えを押しつけられるのとか、そういうのが大嫌いなのだ。 ただ、その逆に、自分で考えてみて、それが正しいと思ったら考えを改めるくらいの柔軟性はあるつもりだし、そんなときには相手を尊敬することもあるわけだ。 肩書きや地位、老若男女、国籍、民族、宗教、カネ持ち貧乏などまったく関係なくね。 で、世の中には正解がないこともいくらでもある。 ある人にとっては正解でも、またある人にとっては間違いなこともいくらでもあるわけだ。 真実なんてものが存在するのは、テメエの心のなかだけ。 そうは思わない? 人間関係なんてものは、それぞれ違った真実と真実のぶつかり合いによってできるもの。 その人間関係の集合体が社会であって、社会のなかであらゆる真実どうしが衝突するのを避けるために存在するのが政治なのだ。 よって、政治のなかに真実は存在しない。 さまざまな真実どうしが殴り合った結果が政治なのだ。 その殴り合いにおいて、つまり、おいらが日々書いている利権の奪い合いにおいて、有利に進めるための武器というのが情報である。 その情報を握っているマスメディアというのは、要するに、それを武器と見なしている人間たちから見れば正解であり、それ以外の者たちから見れば間違いという、ただそれだけの存在なのだ。 マスコミは真実を報道しないわけではまったくない。 彼らにとっての真実を我々にぶつけてきているだけのことなのだ。 教育機関しかり、研究機関しかり、情報を扱うもののすべてに必ずこの性格がある。 こういうことを考えた上で、人間の歴史というものを考えると非常に面白い。 これまた、真実というモノサシで考えると興味深いものが見えてくる。 「勝者によって作られてきた事実=歴史」、という話があるわけだ。 まあ、そのとおりだということは、多くの人間の知りうるところだろう。 だが、同時に、「本当に起こっていたこと=歴史」という定義で捉えると、その歴史はまったく真実ではないということになる。 そして、その歴史というものの裏には、常に現在における利権への影響というものがある。 だからこそ、歴史というのは、それぞれまったく違った真実を持った人間どうしの熱き戦いに発展するのだ。 歴史の議論というのは、情報闘争の一部なのである。 結局、これは歴史の定義というものの問題になる。 多くの人はこのへんのことを理解していないのだが、定義を決めるということも、またもや利権のひとつなのだ。 これをうまく押しつけてきたのが欧米のやり方であり、定義が決定された段階で、ほとんどすべての勝敗は決まっているとも言えるわけだ。 逆の言い方をすれば、この定義というものに目を向ければ、歴史であっても、政治であっても、あらゆることの本質的な問題点が浮き上がってくるということだ。 プロパガンダというものは、実はこのあたりから始まっているということを認識するべきである。 つまり、定義を作り、押しつける段階で、すでに目的があるということだ。 これまでの話をカンタンにまとめるとこうなる。 目的←政治闘争←情報闘争←定義 ↑ ↑ あらゆる真実 流れは右から左であるが、すべての物事は逆の流れで考えなければならない。 真実を単に真実としか認識していない大多数の人を除けば、あらゆる真実とは目的のために存在すると言っても過言ではないかもしれない。 この考え方が正しいかどうかは問題ではないし、そもそも、歴史について研究・発表している方々にケチをつけているわけでもない(むしろ、そういう話をすらすら書くような才能ないんで、ほかの人におまかせな感じだし(笑))。 ただ、おいらは政治経済や歴史闘争について、常にある目的を設定した上で語っている(もしくは煽っている)ということを冷静に分析してみただけだ。 こういうことを考えるのは、ひとりで電車で移動しているときが一番適してるからね。 で、非常に結論は単純なのだ。 おいらという人間の目指しているところは、常に「富」である。 念のために言っておくが、富=カネではまったくない。 カネの亡者と言われるのがいやとかそういう話ではまったくなく、カネはいくらあってもいいと思うくらいだが、本物の富を生み出しさせすれば、カネなんてものはいくらでも作り出せる、というのが本当の姿だからだ。 しつこいようだが、いまの時代がおかしいのは、カネに絶対権力を与えているからだ。 そして、実はその権力を与えてしまってるのは、庶民も含めた世の中の人間たちすべてなのだけどな。 逆の言い方をすれば、このカネというものが権力を握るようになってしまったのはなぜか、という観点で歴史を見つめれば自ずと答えは出るのだ。 さっきの図式に当てはめてみれば、目的は「富を作り出すこと」であり、そのために導かれる定義は「富の奪い合い=歴史」ということになる。 おいらは、この観点によって、今後も情報やら政治やらで戦うつもりだし、これまでもずっとそうだったと思う。 そして、話は最初に戻る。 決して人為的理由ばかりではないのだが、5000年に渡って、本当の富を手に入れたくとも決して手に入らなかった歴史を持つ地域がある。 しかし、いまや、そこに本物の富を築くことは、夢物語でもなんでもない。 やる気になれば、いつでもやり始められることなのだ。 こんなに面白い仕事、ほかにあるかっての! 考えてるだけで、楽しくってしょうがない! こういうことを考えると、正直、日本の政治経済状況についていろいろ書くのが、本当にバカバカしくなってくる。 目の前に本物の富がいくらでも転がっていて、誰からか奪い取る必要も、殺し合う必要もなく、悲観する必要も一切ない国だというのに、なにやら変なものにダマされて、わざわざ自滅コースを選ぼうとしている人間が多数だなんて、ありえない話だ。 いまこそ、やるべきことがあるんじゃないの? コレ書いたときにも思ったんだけど、なんで、わざわざこんなことをこのブログに書いているのか、まるでメッセージが伝わってないのかなあ…。 まだまだ修行が足らんわ、オレ…。 |
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201103082055 |
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