昨日の小沢一郎会見を見た人、ニコニコの生放送中だけで5万6000人以上、というわけで、マスコミやらネット工作員やらがゴチャゴチャ言ってってもやはり大人気なわけである。
売国奴どもが国会でダラダラとムダな時間を消費しなけりゃ、もっといろいろ聞けただろうけどな(笑)。
素晴らしく重要なことを言ってるのはこのふたつだろうね。
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●記者クラブ主催の記者会見について
もう、
あまり記者会見する意味がないですね。というのはいくら言っても、いくら説明しても、まったくわかってくれないし、
報道してくれないし、なんのために記者会見するんだかわからない。ですから同じ記者会見でも今日外国の方もおられるけど、あのなんだあそこ、外国人、特派員協会の、あそこの記者会見はスッキリしてていいですね。要するに意見が違ってても自分の意見をキチンと言いさえすれば「ああ、あなたの意見はそうなのね、はいわかった」とこうなりますでしょ。だから、まあ最近はあまり行かないですけど、また片言隻句を取り上げられて余計なあれになっちゃいかんから行きませんけど、そういう感じなら僕はなんぼでも記者会見いいと思ってます。
●フリー、フェア、オープンな社会の実現について
ただ、そのためにはね、国民自身がほんとに情報ほしいってことにならないとね、そして、その
情報を自分自身が咀嚼して考えて判断する習慣が、あるいは能力が身につかないと意味ないですよね。だからそういう意味で、私は国民の側がもっと成長して、官庁も民間もどこもここももっと情報を出せというくらいにならないと、現実にはなかなかオープンな形になってこないんじゃないかなと思ってます。
要はやっぱ、国民主体ですよ。国民が先です。主権者ですから。国民がきちっとしなきゃね。ほら、よく言うでしょ、
国民と同じレベルの政治家しか出ないっつって、言葉があるでしょ。それが民主主義の本質ですよ。自分と同じ程度のものしか選ばんのですよ。だからそういう意味で、国民がもっと自覚して賢明になることだと思います。
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さて、最近、官僚主義者じゃないのかとか、独裁政権バンザイなのかとか、いろいろレッテル張られてるあたくしであるわけだが(笑)、べつにそれがいいとか悪いとか言ってるつもりはなく、単純に現実の話をしているだけだ。
上に書いたように、小沢先生がその答えを出してくれてるじゃない。
記者クラブというか、利権にどっぷりの大手メディアなんてのは問題外。
しかし、民主主義を本当の意味で国民のためのものにするためには、まず国民が変わらなきゃ意味がないのだ。
結局、大手マスコミとは違ったスタイルで、さんざんプロパガンダを流して、国民を操作するヤツらが出てくることになる。
いま、チュニジアなど中東諸国でクーデターがどうこうって話が出ている。
ツイッターだのフェイスブックだのがそれに役立ったとかなんとか、例の映画の宣伝かよと思うような報道が続いているわけだ。
しかし、冷静に考えてみると、それを報道している大手マスコミってのは、そいつら自身が情報統制者だし、おそらくその自覚もあるだろう。
そういう連中が、場合によっては自らの立場さえも危うくするネット情報主導のクーデターとやらをさんざん喧伝していることに、どうして疑問を持たないのかって話なわけだ。
独裁政権がなんでもいいとは言わんがね、結局、このクーデターの裏にいるのは、例によって民主化利権の連中だってことさ。
民主化というのは、いわゆる日本で喧伝されてきた規制緩和やら自由化ってのと同じ意味であって、民間やら外資やらが好き放題にするための利権問題なのだ。
すでにアメリカあたりから、次の政権に介入しようという動きも出ている。
よって、自由でオープンというのは、単に環境の問題であり、それ以上でもそれ以下でもない。
国がボロボロになるのも、大繁栄するのも、国民の生活が一番になるのも、企業がでかい顔するようになるのも、みんな国民の選択、行動次第ってことになるし、そこにプロパガンダが突っ込まれたらどうなるかなんて、考えるまでもないだろ。
多極的な報道や意見が出てくるようになるだろう、脱記者クラブのような方向性はとてもいいし、心から歓迎するわけだが、同時に、国民自身が自立した考え方を持って社会に参加しなければ、とんでもない危険に繋がる可能性もある。
メディアのあり方以前の問題で、まずは我々自身の問題だと思うけど、どうだろうね。
何度も同じことを言うようで恐縮だが、その意識の低い国民の前に立って、日本をまともに動かしてきたのがかつての官僚機構だ。
国家の私物化ではないかとかそんな話もあったが、そもそも、国民にまったく国を所有する意識も覚悟もなかったのだから、非難できる筋合いじゃない。
他人に面倒なこと全部押しつけて、都合のいいときだけ主人面するのはクズのやることだ。
そして、いまの時代はその構造がうまくいかなくなってボロが出たように思われているが、実際には大して問題はない(とくに財政問題なんてのは幻も幻だ)。
というよりも、些細な問題を何倍、何十倍にもふくらませ、なおかつ火のないところに狼煙を上げにまわった挙句、自分たちの都合のいい人材で官僚機構を乗っ取ったヤツらがいるのだ(もとよりその筋の法曹官僚やら外務官僚なんかもいたけどな)。
その尖兵がマスコミであって、実際にはその裏に財界やら外資やらさまざまなものが存在するわけだが、根本原因はそれに扇動された国民にある。
現在の官僚機構のあまりにあまりな劣化というのは、結局、国民のレベルの問題なのだ。
そうして、増税路線だの、ヤバい薬品やら食品の許認可だの、いろいろ起こってくるわけだが、当然、それを目指している勢力の乗っ取りのせいなのは言うまでもない。
ついでに言えば、いくらまともな官僚であっても、物事をまるで理解していないクズ国民に一方的に敵視されりゃ、国民のためになんて考えるわけがない。
保身がどうこうって話もあるが、そもそも自分の生活やら将来やらをなにも考えていない人間なんてのがいるのだろうか。
それ自体、人間の自然な欲求として、それが存在する前提で物事を考えなきゃならんと思うけどね。
小沢先生が官僚について語ったこととして「官僚には優秀な人が大勢いる、政治が責任を取れば(彼らに責任を押しつけるようなことがなければ)彼らは必ず国のために動く」「天下りは全面廃止するべきだが、彼らにも生活があるし、身分保障は必要だ」というものがある。
国民の視点に足りないのはこういう部分じゃないのか。
あいつらはメチャクチャなことをしている、だから、全員野垂れ死ぬべきだ、なんて主張をしていて、彼らがかたくなにならないほうがおかしいと思うがね。
しかも、その彼らのやってきた仕事を、いったい誰がやるというのだ。
ついでにもうひとつ、現実的戦略の話。
日本ではその権力のほとんどを官僚機構が持ってるのだから、官僚を味方につけた政治家や組織が力を握るというわけだ。
いま必要なのは、官僚機構をコントロールする力を、いわゆる悪徳ペンタゴン(政治屋(政)、特権官僚(官)、大資本(業)、外資(外)、御用メディア(電)の五角形、ただし、おいらはその全員とは思ってない)から、まともな政治家の手に渡すことじゃないのかね。
そういう本質をまったく理解せず、ただマスコミが作り出したイメージで、国民の味方である政治家を潰し、敵対勢力に力を握らせてきたってのがいままでの日本の姿だ。
異論は一切認めない。
で、再度念を押しておくが、国民が追い詰められてる現状も、結局、国民自身の選択のせいだからな。
ろくでもない連中がなにを抜かそうと、最終的に国民が選択して、責任を持つのが民主主義というものだ。
誰か他人のせいにしたいなら、それこそ官僚やら独裁者やらに任せるしかあるまい。
おいらはそういう現実を言っているだけのことだ。
まあ、いいかげん、国民は被害者意識から脱して、将来の国の形ってヤツをひとりひとりが考えるべきじゃないのかね。
そういう意味で、今回の小沢会見、非常に意味のあるものだったとおいらは思うよ。