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![]() タイトルを見て、鳩山総理の話と思った人がいるだろうが、それはどうでもいい。 もはや、東京地検特捜部のあまりにあまりな偏向捜査に気づいていない人間のほうが少数だろう。 少なくとも、普天間問題などで国益をぶち壊しまくってるマスコミに言われる覚えはない。 写真は、光市母子殺害事件の被害者遺族である本村洋氏だが、実は彼の話がメインというわけでもない。 この国をまともにするためには、司法制度の根本的改革が必要だという話である。 ![]() さて、鳩山総理の献金問題で秘書が起訴されることになったわけだが、同時に光市事件に関するニュースが出ている。 元少年の本名が記されたドキュメンタリー本をめぐって、泥沼の訴訟合戦に発展したというものだ。 http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20091225-OYS1T00223.htm 正直、この話はどうでもいいというか、いいかげんにしろという話だ。 実名報道とそれに対する非難なんぞを繰り返しててもまるで意味がない。 マスコミがやるべきなのは、少年法をどうするかという根本的な論議を盛り上げることであって、こんなくだらないことの繰り返しなんかではない。 まあ、連中にそんなことを言ってたってしょうがないことはわかってるがね。 さて、この光市の事件だが、どっちの味方なのか的な論調になっていて、非常に危険な要素を含んでいると思っている。 まず最初に考えなければならないのは、この事件の顛末は、果たしてマスコミが報道している通りなのか、ということだ。 マスコミの話をまとめると、強姦目的で変装して被害者宅を訪ね、抱きついたところ抵抗されたから殺し、その後、泣き叫ぶ子供を殺した上に死姦した、ということになる。 検察の調書でもこのようになっているようだ。 ところが、死刑判決が出た高裁の差し戻し審では、その事実関係について被告人は否定した。 まあ、あまり信用できないふざけた話も多いのだが、被告人が自分のためにそういう証言をするのは仕方のないことだ。 ついでに言えば、弁護士が被告人の味方をするのも、そういう仕事なのだから当たり前である。 なんて書いてしまうと「犯人の味方なのか!」という声が飛んできそうだが、とりあえず待ってくれ。 検警察とマスコミが勝手に犯人を作ってしまっただけで、実際には冤罪だったこともあるわけだから。 だからこそ、おいらはこういう事件があると、裁判においてちゃんと証拠が示されたかどうかという部分に注目することにしているのだ。 被害者遺族には申し訳ないが、その点、我が国の検警察は本当に信用ならんからね。 そもそも、警察が密室で作文を作り、無理やりサインさせる供述調書システムが問題なのだよ。 冤罪を作り出してしまう可能性についてはいまさら言うまでもないが、逆に、本当に犯行に手を染めていた犯人に逃げ道を作ってしまうことだってありえるのだ。 この件がそうだと言っているわけじゃないが、そういういいかげんな制度だからこそ、後になってしらっと証言をひっくり返せるんだろ? それをすべて録画しておいたなら、有力な証拠として利用できるではないか。 完全可視化というのは、なにも被疑者の権利ばかりの話ではなくて、検警察にとってもメリットのあることなのだよ。 前に平沢勝栄とかいう警察上がりのアホが「録画なんかしたら、取調官と被疑者の信頼関係が作れなくなる」とか抜かしていたが、それがそもそもおかしな話なのだ。 取り調べにも裁判にも、感情なんか一切持ち込んでもらっては困る。 すべては証拠なのだ。 ついでに言えば、日本の法制度では、犯行の証明は捜査機関が行うものである。 それができなければ、どんなにグレーでもシロなのだ。 警察は努力をする部分が間違っている。 長期に渡って勾留し、恫喝して落とすのではなく、いかに証拠を確保するかだ。 それを考えれば、完全可視化はなんの障害にもならないどころかいいことばかりだ。 この光市の事件については、被告人本人が関与を認めているのだから、無罪ってことはもちろんない。 だが、それがなんの罪状に対してクロであってシロなのか、それは正しく判断されなければならないだろう。 殺人なのか、強姦致死なのか、それともそれ以外なのか、ひとつひとつ証拠を照らし合わせて判断しなければならない。 言っておくが、おいらはこのケースがその罪状のどれに当たるかという話をしたいわけでもなければ、減刑したいわけでも擁護したいわけでもない。 それぞれの容疑があって、それに対する証拠調べを行い、法律に照らし合わせて判断されているかどうかって話をしているだけのことだ。 ていうか、それが裁判ってもんじゃないのかね? そりゃ、被害者遺族からすれば、少なくともこいつのせいで家族が死んだことは間違いないわけで、死刑にしろと言うだろうし、無期懲役なら社会に出てきたそのときに殺すと言うのもあるだろう。 で、そういう復讐的な考えに対して、国民の多くが賛同したのも事実だ。 そこまでは正しい。 次にやるべきことは、ひとつひとつの裁判に国民の圧力をかけることではない。 刑罰をどうするのがいいのかという議論をするべきだし、その上で、刑罰とはいったいなんの目的のためにあるのか、という話もするべきだろう。 どういうことか? 殺人罪の場合、死刑、無期もしくは5年以上の懲役刑となっているが(少年の場合は少年院とか保護観察もあるがね)本当にそれでいいのか議論すべきだろうね。 そして同時に、刑罰は「復讐」のためなのか、ずっと言われているような「更生」のためなのか、もしくはそれ以外なのか、きちんと話すべきじゃないのかね。 仮にそれが復讐のためだとすれば、殺人罪はガキだろうが精神病患者だろうが、基本的に死刑によって償うよりあるまい。 強姦致死にしてもだ、明らかに相手を痛めつけることであり、殺してしまうかもしれない行為なのだから、同じ考えに基づくなら死刑で問題あるまい。 つまり、これらについては、基本の刑罰を死刑とするように、立法を進めていけばいいのだ。 そして、情状酌量理由についても、被害者側に原因があった場合など、明確に条文化して載せるべきだろうね。 わかるでしょ? 5年の刑から死刑まで天と地のような刑罰の差があり、それがなにやら密室で作られた調書のような曖昧な証拠で判断され、反省の情だとか遺族感情によって毎回毎回左右されるってのが、そもそもおかしなことなんだよ。 こういうことを書くと、被害者への配慮が足りないとか言われそうだけどさ、むしろ逆じゃないかね。 被害者と被告人(弁護士)の対決みたいな状態になっているのは、このへんが曖昧なままであり、なおかつ両者の論点がズレまくっているからじゃないか。 被害者遺族が犯人を殺してやりたいってのは本音だろうし、死刑を望むのもそうだろう。 かといって、公正な裁判のためには被告人の人権も守らなければならない。 そして、国民感情がどうであろうと、現状の我が国の刑罰システムは、基本的に教育刑なのだ。 この溝を埋めるためにはどうしたって司法制度の根本をいじらなければならんだろ? どうしてこのへんにメスが入らないかと言えば、本質を隠しておきたいからだろうね。 日本という国が、法治国家のように見せかけた人治国家であるということを、国民に知ってもらいたくないからこういう感情的扇動をしているんだよ。 ちょっとこれを聞いてもらいたい。 武田鉄矢が光市事件について語っているもので、どうやら1から7まであるようだ。 http://www.youtube.com/watch?v=M3O-nLXmE3U どう思った? これを「美談」と思ったなら、非常に恐縮だけど、冷静になることをオススメする。 怖い話ばっかりだったぜ、これ。 とくに恐ろしいと思ったのは「少年事件を送検に持っていくための方法」だ。 確かに、現状のシステムにおいて、その努力をしたことについては素晴らしいと思う。 だが、本質はそこじゃなくて、家裁送りになるのも送検されるのも被害者遺族の感情次第であって、罪状や証拠や状況は一切関係ないってことだ。 で、反省の演技の話もそれである。 裁判において、こんないいかげんなものを判断に使うことは大きな間違いだ。 むしろ、犯行を認めていない人間に重罰を課すという脅しによって、やってもいない罪を被告人に認めさせるのに利用されてることが多いし、邪魔でしかないのだ。 極めつけ。 最後に小泉純一郎の話が出てくるわけだが、これは国家権力と安田好弘氏の戦いに関連している。 光市事件は利用されたとおいらは疑っている。 そのへんの話は、宮台真司のウェブ番組を見れば背景が見えてくるので、ぜひとも観てもらいたい(0から7まであるようだ)。 先に態度を示しておくと、おいらは死刑廃止論者ではないし、必ずしも彼を支持しないが、この事件を死刑廃止に利用したというマスコミの論調にも否定的だ。 観ればわかると思うが、基本的に正しいことを言っている。 まあ、そのへんの判断はそれぞれだろう。 http://www.youtube.com/watch?v=vhVhIMOsP5c 「あんなヤツは死刑だ!」と、単純にイメージだけで思っていた人、ちょっと冷静になるべきだよ。 おいらも個人的感情では、クズには死んでもらいたいけれども、問題はそこじゃない。 人権というものは、国家権力から身を守るためにある。 だから、いかなる立場であっても、守られなければならない。 「ろくでもないヤツに弁護士も人権もあるか!」という考えの国民が増えることは、大きく自分に跳ね返ってくることになる可能性があるのだ。 最近では裁判員制度という、裁判をさらに感情的にする制度も始まった。 これを危険と言わずしてなんと言えばいいのだろうか? 我々に必要なのは、公平な裁判、罪刑法定主義の徹底、完全可視化、国民の納得できる刑罰制度などであって、抜本的な司法制度改革だ。 その認識に立って、とにかく客観的にいまの検警察の動きを再検証するべきなのである。 鳩山総理や小沢一郎の件にしても、このろくでもないヤツらのあからさまな関与が見られる。 検警察とマスコミがタッグを組んで、我々はいつの間にやら操られているのだ。 おれたちが戦わなきゃいけない相手は、日本国内だけでどれだけいるんだろうね? |
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200912251242 |
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