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痛い思いをしないとなにも変わらない…もう十分だろ!

ファニーメイ債、フレディマック債というのをご存知だろうか?
いま、世界中で大騒ぎになっているサブプライム問題があるが、それと同じようなバクチ債権である。
これらはアメリカの住宅に関する債権であり、信用度で言えばプライムとサブプライムの中間に位置するものだ。
米連邦住宅抵当公社(ファニーメイ)と米連邦住宅貸付抵当公社(フレディマック)という公社がそれを発行しているのだが、この両社がともに破綻の危機に直面している。

アメリカ政府とFRBが救済に入るそうだが、このこと自体はどうでもいい。
突っ込みが入りそうな気もするが、ハッキリ言って破綻は時間の問題だ。
おいらが指摘したいのは、日本のとある金融機関の話である。
なんともおろかなことに、農林中央金庫がこのふたつの債権を5兆5000億円も所有していることが判明したのだ。

ちなみに預金残高は約41兆円。
まだそうと決まったわけじゃないと言われそうだが、結論から言えば少なくともその8分の1が、アメリカに吸い取られる形で消失したことになる。

どうしてそんなことになったかと言えば、以前から書きなぐっているように、日本における金融ビッグバンとゼロ金利政策のせいだろう。
この農林中金、実は、日本屈指の機関投資家として世界に知られているそうだ(日本人はまったく知らないが)。
その資産のほとんどが海外で運用されているそうだ。

ご存知のとおり、農林中金は農協系の金融機関である。
現在では、国庫からの財政支出は一切なく、独立運営をしているとのことだが、農林中央金庫法という法律によって運営されている国策金融機関だ。

その第一条には次のような理念が挙げられている。
「農林中央金庫は、農業協同組合、森林組合、漁業協同組合その他の農林水産業者の協同組織を基盤とする金融機関としてこれらの協同組織のために金融の円滑を図ることにより、農林水産業の発展に寄与し、もって国民経済の発展に資することを目的とする」

まあ、いまさらなにを語るまでもないだろう。
農業や漁業、林業などの振興を目的とした機関が、アメリカでバカのようなバクチをして遊んでいたわけだ。

ハッキリ言って、これは政府のコントロールの責任があるのではないかと思う。
違法とは言わないにしろ、理念とはまったく違う行動によって、預金者の資産を紙くずにするような行為だ。
この金が日本国内にまわっていたなら、どれほど農業や経済が潤っただろうか?

だというのに、この農林中金の理事長は「住宅公社2社は米政府の住宅政策の根幹を担っている。(米政府の支援が確実で)米国債とほぼ同じ信用力がある」なんてのんきなことを抜かして、責任逃れをしている。
マスコミの報道も、人ごとのようにその事実に触れるだけで、背景にある法律や理念に関する話は皆無だ。

この背景に触れると、実はふたつのものが見えてくる。
断定するが、マスコミにしろ政府にしろ、そこには触れてほしくないのだろう。
だから、思い切りここに書かせてもらう。

ひとつは、郵政民営化についての問題である。
かつて、郵便貯金は、政府による完全なコントロール下にあり、その資金が海外に流出するようなことはなかった。
しかし、いまではその運用を行うのは企業となり、そのほとんどが国際金融資本およびその手先の金融機関である。
この農林中金の問題は、言ってみればゆうちょ銀行の未来の姿だ。
おそらくは、農林中金の金は米国住宅公社以外にも相当額が流出しているはずであり、破綻に近い状態だろう。

郵政民営化で海外に金が奪われるなんていうのは幻想だとおっしゃる方も大勢いるが、これが事実だ。
この時代、海外で資金運用するということは、金をどぶに捨てるも同じことなのである。
ちなみに、ゆうちょ銀行に関するもうひとつの問題は、外資が株式を所有することにより、同銀行が所有する多額の日本国債を押さえられてしまうことでもある。
仮に、これを売りたたかれるようなことがあれば、あっという間に日本国債は暴落し、日本経済は多大なダメージを受けることになるだろう。

いくらなんでもそこまでするかと言われるかもしれないが、可能性はないわけじゃない。
危険は臆病なくらいに排除しなくてはならないのだ。
それに、運用益を考えれば、日本国債よりも遥かにいいものが世界にある(ただし、ハイリスク)。
そのことによって日本の金が流出したことを忘れてはならない。

そして、もうひとつは、格づけというもののウソである。
この米国住宅公社債は、農林中金の理事長が述べているように「米国債と同様の信用力」を持っているとされている。
その根拠になっているのは、欧米にある格づけ会社だ。
もちろん、言うまでもなく、民間企業である。

この連中が企業や債権のクラスを「AAA」とか「BBB」なんて決めることによって、その価値が動くのがこの世界経済の仕組みである。
ついでに言えば、この連中が「目標株価」なんぞを決めることにより、投資家の売買を誘導するようなこともやっている。

これ、実はとてつもないウソだ。
たとえば、かつて預金残高が世界一だった某邦銀の関係者がこぼしていたことがある。
どう考えてもうちの方が大きいはずなのに、株式の時価総額ではシティバンクに何倍も離されていると。
これがどういうことかといえば、最近、解禁された三角合併で、株式交換による乗っ取りが楽にできるということである。
見せかけの格づけとやらで、大が小に呑み込まれてしまうのだ。

さらに言えば、かつて「AAA」をCMで連呼していた外資系保険会社がある。
それで安心とばかりに日本でも加入者が軒並み増えた。
だが、その問題の会社の本社が粉飾決済をかまし、ランクダウンを余儀なくされた。
日本ではそのことをマスコミがまったくと言っていいほど報道していない。
それは、マスコミの最大のスポンサーのひとつだったからにほかならない。

要するに、格づけなんてものは、金を操っている連中の思惑でどうにでもできるものであって、一切信用してはならないものだってことだ。

とはいえ、その構造は壊れ始めている。
なぜなら、米国債と同様のランクとされた米国住宅公社債が破綻の危機になったのだから。
これは、言うなれば、米国債とてまったく安心できないと、一般投資家が考えるきっかけにもなるわけである(経済を冷静に見ている人間なら一般常識であるのは言うまでもない)。

日本政府としては、このふたつのことを国民に知られるのが一番やっかいだと思っているだろう。
彼らの売国ぶりが全部露見することになるわけだから。

さて、そんな過去の話を言っていても仕方がない。
正直言って、これまでの金については全部諦めるよりないだろう。
日本はこれまでに何度も痛い思いをしてきたが、今度こそ本当に真摯に受け止めて、これからどうするべきか冷静に考えなければならない時期にきていると思う。
ただ、運がいいとも言えるのは、日本は他国に対する借金がないので、金融資産を諦めてしまいさえすれば、どうにでもやり直しがきくのである。

さらに、こんな話もある。
日本の場合、政府が1000兆円程度の政府紙幣を発行して日銀に預け、代わりに無利子国債を引き取ってもらえば、それだけで赤字は解決できてしまうだろうってことだ。
確かに、理論的にはそれで丸く収まる。
ただ、日本は年250兆円とも言われる特定財源の使い込みという、非常にやっかいな闇があるのも事実であり、それらの構造をぶち壊すためには、どうしても一度地獄を見る必要があるとは思う。

それに、日本の周囲には、同様に一度地獄を見てもらわなければならない国もあるではないか。
結論から言えば、それは韓国であって北朝鮮だ(中国はすでに地獄の入り口に立っているとおいらは思っている)。

彼らが嫌いで言ってるわけではなくて、結局、思い込みとわだかまりを捨てて協調関係を作るためには、どれほど日本という存在がありがたいものなのか知ってもらわなきゃならない。
そうして、日本も含めてまともな民衆が政府や工作組織のウソと戦うような図式にしなくてはならないだろう。

これはまたべつで書くが、竹島問題なんていうのも、実のところは第二次大戦のバックにいた国際金融資本の工作によるものなのだ。
それを利用して国民を洗脳している連中も大勢いる。
それくらい、日本も韓国も工作員に冒されているのが現状だ。

とりあえず、これから来る地獄に立ち向かうために、食料とエネルギーの問題を少しずつでも進めておくしかない。
おいらにやれることは、その必要性をこうして訴えていくことくらいだけれども。

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200807181622
キャラメルの溝作戦進行中…不況な業界に押し寄せる物価高騰の危機!

いま、生活必需品を中心に、いろいろなものが値上げになっているのはご存知のとおり。
これについて詳しいことは何度も書いているので、今回は出版業界に絡む事情をちょこっとだけ。

実は、最近、紙の値段が急に上がったのだ。
各社が一斉に値上げをかましたのである。
カルテルとはいわないが、実質、似たようなものだ。

出版業界の人間としては「勘弁してくれ!」ってのが正直なところなのだけど、あちらの業界事情を考えるとそうも言えない。
理由はふたつある。
ひとつはわかり切ったことだが、この原油高をひっかぶっているということだ。
で、もうひとつだが、紙業界はダンピング合戦が続いていたこともあり、慢性的に赤字体質なのだ。
だから、この原材料高に合わせて引き上げをかまそうって紙業者の事情もよくわかる。

実のところ、出版業界の周辺では、そんな酷い話がかなりある。
印刷屋や製本屋がバタバタ潰れているのも、出版社が無茶なコストダウンを押しつけてきたからだ。
そして、その出版社が厳しいのも同じだ。
意外と知られていないが、出版社は幅広いジャンルを扱っている総合出版社ほど大変なことになっている。

いま、年間で8万点もの本が流通している。
その膨大な数字を考えればわかるように、誰の目にも触れないような本が山ほどある。
この数字、実はアメリカとほとんど変わらない。
人口3倍に加えて、ローカル出版社の多いアメリカと変わらぬ点数が発行されているというのだから、日本の出版業界は異常としか思えない。

確かに、日本人は世界的に見ても読書熱の高い民族だ。
ひとりあたり、年間18冊の本を読むという統計が出ている。
ちなみに、アメリカは半分以下だ。
ただ、それにしても、8万点が多すぎるのは考えるまでもないだろう。

どうしてそんなことが起こるかと言えば、取次と委託販売制度という世界でも珍しいシステムである。
取次はいわゆる問屋機能であり、日販やトーハン、アマゾンと組んでいる大阪屋といった会社は有名だ。
これらの会社によって、日本全国の書店やコンビニ、キオスクなどに流通されるシステムになっている(一応、直接納入もあるが、あくまで一部だ)。
そして、これらが売れ残った場合、一定の条件で返品することが可能になっている(岩波書店やアスキーのように、かつて買い切り制で流通させていたケースもあるにはあった)。
単行本の場合、半年の委託期間が定められる場合が多いが、それ以降でもたいてい戻される(詳しいことは割愛)。

これには出版社にとっても利点があった。
通常の商品のように買い取りだと、書店側はリスクを考えて売れ筋以外を仕入れようとはしないが、返本が可能なことで、とりあえず本を売るチャンスが生まれる。
このシステムが出版業界の拡大に大きく貢献した。

しかし、いまとなっては、これが各社のクビを締めているのもまた事実だ。

まず、本屋の棚の取り合いが始まった。
本屋の、しかも一番目につく一画を独占する…それが本が売れる秘訣であるからだ。
このためには、安定的に多点数の本を発行する必要がある。
こうして、本屋は大手出版社の本が多くを占めるようになり、零細出版社の本ははじに追いやられていく。
とくに、これは売れそうもないという本に関しては、ストック棚に放り込んだままにしたり、着いたとたんに返送されたりすることも日常的に行われている(書店を責める気はまったくない、現実的にそうするよりないし…)。

こうして本の数が増えてくると、当然のように質は落ちていくし、返本も増えていく。
無理のできない零細出版社なら、部数を絞って細々とやればいいことだが、大手の場合には上記の事情もあるので点数を減らすわけにもいかない。
返本率はどんどん高まっていく。
そして、気づけば赤字になるようなレベルにまで落ち込んだのだ。

ただ、大手の場合、この苦難を乗り越えることが可能になっている。
通常、取次会社との取引条件は、本を出してから数カ月後に発行数から返本数を引いた金額を受け取れる(ただし、一部保留がある場合もある)というものだが、大手の場合、納入とほぼ同時に発行数全体の入金を受けることができる。
返本が発生した場合は、その入金と相殺も可能だ。
これがどういうことかと言えば「売れる売れないに関わらず、本を出し続けていれば、自転車を漕ぎ続けられる」ということなのだ。

これでハッキリしたはずだ。
クソ本だろうがダメ雑誌だろうが、出版社は数を出し続けなくては生き残れない。
だから、出版不況だろうと、本の点数は増え続けていくのである。
そうして、ますますゴミが増えていくのだ。

だから、あらゆるジャンルを扱っている大手にいけばいくほど危機的な状況なのである。
もしも自転車を停めるなり、取次会社が条件を変えたりしたら、大手出版社は丸ごと倒産するやもしれぬのだ(ただし、講談社のバックにいる野間財団はどえらい金を持ってて、無収入で3000人の従業員を100年から養えるというし、そもそも取次自体の大株主が大手出版社で占めているから、そんな展開になるとは思えないけれど)。

こんなご時世に紙価格の高騰は恐ろしく痛い。
かといって、これ以上、周囲の業者をいじめようにもいじめられないほどにダンピングが進んでいる。
編集者の給料を減らし、ライターの原稿を買いたたき、マンガ家やイラストレーターを小遣い銭でこき使い、デザイナーをフォント代にもならない価格で働かせ、カメラマンのギャラをバイト並みにしようにも、すでにそれに近いことになっている。
かといって、安ギャラ人間を使っても質が落ちるばかりだし、あっという間に淘汰されるだろう。

となれば、方法はただひとつ、値上げしかないのだ。

単行本はおそらくこれから値上げの方向に行くだろう。
だが、雑誌に関してはそうはいかない。
むしろ、なんとか値段を下げて対応している雑誌がほとんどなのだ(すでに付加価値をつけて売るという考えはなくなったと言える)。
下世話な話をすれば、最近のエロ本のほとんどはDVDをつけてて、いったいどっちが本物の商品なのかわからなくなっているではないか。
そうまでしなけりゃ売れないし、そうまでしても売れないのだ。

こんな八方ふさがりの状況で、どんな解決法があるのか?
それについて知り合いの編集者に聞いてみたところ、非常に驚くべき話を聞いたのである。

ある雑誌では、ページ減で対応しようと検討を進めているそうだ。
もちろん、価格は据え置きかほとんど変わらないかだろう。
量で値段が決まるものではないので、こんな言い方は不謹慎だが、実質的な値上げである。

言ってみれば、材料費高騰のときに溝が深くなるキャラメルのようなものだ(その分、量が減る)。
最近では、ポッキーが2本分減量なんて話もあったっけ。

そして、これはあくまでおいらの予想だが、紙の種類はもう少し厚いものになるのではないだろうか。
雑誌にしろ、単行本にしろ、使用されている紙にはさまざまな種類がある。
コート紙のようなものから、わら半紙のようなものまで。
そして、それぞれに厚みも何種類かあるのだ(一般に斤量で表わされる)。
で、この原料高でさほど変わらなくなったという話だが、基本的に斤量の大きい(分厚い)紙のほうが安価になっている。
ついでにいえば、束が太くなってボリューム感を出すこともできるわけだ(逆に薄い紙は、ページの多い本でも薄く仕上げることができて便利である。こういう仕上がりを考えるのも編集者の楽しみのひとつなのだ)。

これ、チェックしてみると意外に面白いポイントである。

ちょっと寂しい話ではあるが、その分、内容で勝負するよりなかろう。
ページが減った分、制作経費が安上がりになるわけだし、取材記事やイラストなどを充実させることもできるだろう。

ただ、あたくしのように(現在では)ライターとしてしか雑誌に関わっていない人間にはけっこうつらい。
ページが減るということは「遊び」のページを作れなくなる(企画が通らなくなる)ということでもある。
遊びというと聞こえが悪いかもしれないが、要するにチャレンジができないということだ。
昔から、雑誌には「無駄」とも思えるコーナーがいろいろあった。
そこから生まれたカルチャーが一世風靡したことも多かった。
これから先は、なかなか厳しくなるだろう。

もっとも、こういう現象はいまに始まった話じゃない。
かつて編集長をしていたとある雑誌で、ある有名マンガ家の連載をやっていたことがあったのだが、営業の意向でたった3回で休止に追い込まれたことがあった(抵抗はしてみたが無駄だった)。
それからしばらくして、べつの雑誌で、同じマンガ家がやっていた同じような企画がブレイクしたのだ。
おいらはもちろんのこと、そのページを担当していた編集者も一緒に悔しがったものだ。
いけるという自信があってやってたことだし、もう少しがまんしてもよかったではないかと(決して売り上げも悪くなかったわけだし)。
まあ、結局は押し通せなかった自分のせいであることは間違いない。
言い訳するつもりはない。

それくらいいまの出版業界には余裕がないのだ。
この閉塞感をぶち壊す企画を思い切りやってみたいのだが、それがそもそも難しくなっているというのは、本当に嘆かわしい話である。

というわけで、おいらのボツ企画がますます増えるだろうなと、正直、心配だ(苦笑)。
いい歳して、旧体質の出版人間気取っててもしょうがないと思うのだけど、こればかりは変えようがないのである。

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200807111204
こんなバカがいたっていいだろ? これだから雑誌屋はやめられない!


最近、どうもブログが「ボツ原稿置場」になってる感があるので、たまにはエンタテイメントもやろうかと思った(もっとも企画時点でボツになって書きなぐってるのが大半だが…)。
基本的においらは娯楽作りのために生きているような人間、あんまり硬いことばっかりやってても肩がこるし、そもそも向いてない(笑)。

だが、それだけで終わりにしないというのもあたくしの方針である。

この間、ある人にそんなメールを出したのだが、おいらは昔から学研という出版社が大好きだ。
科学・学習のようなものから、歴史ものの単行本、カメラ雑誌のキャパとデジキャパ、あげくの果てにはオカルト誌のムーまで、さんざんこれまで世話になっている。
これらのどこがいいかと言えば、エンタテイメントとして成立しているのに、いつの間にかいろんなことを覚えられることだ。
かといって、いま世の中に氾濫している「情報小説」の類いは好きじゃないのだけど。
学研は伝統的にそのバランスがうまいんじゃないかと思う。

それとはまったく異種であるが、日本のエンタテイメントの帝王とも言うべき角川春樹氏を心の底から尊敬している。
いわば、あたくしがこの世界に入ったきっかけになった人だ。
そのすごさは「狂ってる」というところにあるのだろう、よくも悪くも。

というわけで、おいらはいかなる題材を扱うにしろ、常に狂ったほどのエンタテイメントとして作り上げることを念頭にライター、編集というヤクザ稼業をこなしている。
ギャラの大小なんざ、食っていけさえすればどうでもいいし、いざとなったら人にたかるまでだ(おい!)。
日本に戻ってから、どれだけ人にたかったことやら…。

とまあ、導入が長くなったが、今回は写真のような記事なのかなんなのかよくわからないものを作ってみたわけである。
わざと画像を粗くしてあるが、なんに見えるだろうか?

詳しくは、来週の15日(たぶん)にコンビニや本屋にならぶ「ギリギリでエロ本になっていない男性向け月刊誌」をパラパラとめくってみていただければと(店によっては18禁コーナーに置いてあることもあるようだ、シール止めはないけど)。
そのなかにこの画像らしきものがあれば、まさにそれである。

今回、どういうわけかこの雑誌から結構な数の仕事をいただいた。
で、すでに次号での仕事も決まり、いままさにネタを詰めているところだったりする。
同時に野球ムックや単行本企画もあるのでバタバタだが、また妙なことをやりたいと考えているので、暇があればぜひともチェックを!

外している! と言われるかもしれんけどね…(汗)。

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200807110904
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