ついさっき、知り合いと
労働の対価について話をしていた。
そちらの主張は、ものには適正価格というものがあって、
労働についても同じであると。
だから、すべてのものの価値は
労働時間対価に換算しなければならず、それによって
労働者の賃金にも反映させるべきだというわけだ。
残念ながら、それはプロパガンダに掠め取られた意見なのだ。
言いたくはないが、経済的観点で見れば、
労働というのも需給に左右される価値のひとつでしかない。
で、どうしてこういう考え方になりがちなのかと考えてみたわけだ。
おそらく、多くの人はゼニと
労働を同じものさしで見ようとしているんじゃないか、というのがおいらの結論だ。